ジュピターの子供達は、みんないい子ばかり
私は、まだジュピターの子供達と出会って、1シーズン。
実は、新人なのだ・・・。
しかし、接している時間が濃かった為に、一人一人の人間性はある程度理解できたと思う。
ただ、教える立場にあるがゆえ、平等に接しないといけない。
だから総括して言う。
ジュピターの子供たちはみんないい子。小さい子供には優しく、面倒を見る。
そして学年が大きい子供は自立している。
監督もホッケーに対する熱い気持ちと子供から好かれる人望ゆえ、子供のホッケーの成長も早い。もちろん監督はホッケーが上手でいまだに現役で努力している。
私だけが怠け者で、申し訳ない。
子供両面の成長は、チームの方針の一つでもあるので、徹底されているのだろう。
ジュピターはホッケーだけではなく、社会性もキチンと身につけて卒業できる。
ただ、ホッケーをするクラブではないのだ。
だから親も育つ。そんな素晴らしい環境がジュピターにはあるのだ。
こんなチームが他にあるのだろうか・・・。これを見ていて、子供にホッケーをさせてみたいという親御さんがいるのなら、一度でいい・・・ジュピターに来てみて欲しい。
子供に人生観が変わるスポーツを、そして感動を共有して欲しい。
きっと満足していただけるものと思う。

その昔、私は帰国後、一生悔やむ選択をしてしまった。
帰国当時、日本ではまだアイスホッケーをする環境を知る由もなく、ホッケーをするなら北海道しかないという父親の知識だけで、その選択を迫られた。せっかく本場で習ってきたアイスホッケー・・・。将来それで食べていけるわけもないのは、子供でもわかっていた。
北海道に1人で行ってホッケーをしながら中学生活を過ごすか・・・。ホッケーを捨てて両親と共に普通の生活をするか・・・。
実は言われた直後から、考えるまでもなくその答えは出ていた。
モスクワでの生活は、それは楽しいというものでもなく、当時高校に上がるために兄貴は1年間でモスクワを離れ帰国。いるはずの兄貴がいない・・・どんなに苛められても世界中で1人しかいない兄貴がいないのは、小学生の私には辛いことだったのだ。
当時のモスクワはまだ共産圏だったために、テレビも面白くなく、食べ物も選べて買えるほどでもなかった。海外製品なんてまず町中で見る事はない。それでも外国人専用のスーパーに行けば日本製のものも手に入れる事はできたが、なかなか買わせてはもらえなかった。
物心つく頃にモスクワ。
帰国した時は、カルチャーショックで、子供ながらにしばらく立ち直れなかった記憶がある。
そんなモスクワでの唯一の楽しみはホッケーだった。
自分を慰めるものがそれしかなかったのだ。
夏は短く、長い冬。待ち遠しいなんてことはない。
「・・・北海道に行くか?」
「やだー!」
そんなやりとりをとり止めもなくした・・・。
でも寂しい思いはしたくない一身で、抵抗して北海道行きを阻止した。
ホッケーは好き・・・大好き。
でもそれ以上に家族といたい。
今となっては後悔の決断だった。
それから中学では野球をして、平行して空手道場に通い、高校では空手部に入り全国大会まで行った。
その都度両親は期待をしてくれていたが、高校で野球部に入らなかったので甲子園にも連れて行く事ができずで、両親の期待をはずしてばかりだった。
北海道行きを阻止したのに・・・ごめんなさいの日々。
それから社会人まで唯一続けたのは、空手だけ。
兄貴も高校から少林寺を習っていたので、なんか武道家の集まり的家族になってしまったなぁ。
社会人になった時、空手なら極められるかと極真空手に入門して、毎日拳を血だらけにしてた記憶がある。たまたま入社すぐの上司が空手部出身の人だったので、汚い手でも何も言われなかったけど、普通の会社なら言われただろうなぁ・・・。
そういえば丁度社会人なりたての頃、バイクにもはまっていて、ライセンスを取ってレースにも出ていた。クラスはノービスクラス。市販のバイクをレース用に改造(公道では乗れない)して参戦していた。
普段の足もバイクで、週末になると高崎と都内を往復してた。
当時品川の中延という所に住んでいた。
親友が高崎から来る事も頻繁にあって、よく時間を競っていた記憶がある。
この勝利者は親友で、中延から環八、関越で高崎の自宅までの最短記録約47分だった。
他には夜遊びを覚えたので、毎日のように六本木に出かけ、今で言うクラブに踊りにいって朝まで騒いで・・・。この頃は、親に心配をかけたピークだったようだ。
それからしばらくこんな生活が続き、28歳の時にインラインホッケーと出会い、ホッケー魂が再燃してしまい、空手を捨て、夜遊びを捨て、バイクも捨てはまった。
入ったチームに学生のGKがいたので、1年間GKとディフェンスをしながら楽しみ、2年目からはGKになった。まだインラインホッケーが日本に入ってきたばかりで、これからインライン界が・・・という時期だったのだ。結構苦労したのだ・・・。
そしてこの2年目の時にアイスホッケーが出来る事を知り、そしてできたてのチーム(ある会社の部)があってGKがいないのでやってもらえないかという話をもらい、アイスホッケーを再開した。
その後、今日までアイスホッケー、インラインホッケーを続けている。
おかげさまで、国体にも出れ、やっと父親に恩を返せた気がする。
しかし、あの時点で北海道に行っていたら・・・きっと今の生活はなかったのだろうな。
どちらが良かったのかは別として、今こうしてホッケーをしていると言う事は、
やっぱりあの時点で北海道に行っていれば、良かったなぁ〜と後悔してしまうのである。






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