日本における神社の歴史 jupite, 2022年11月14日2024年11月10日 最終更新日 2024年11月10日 by jupite 「神社の歴史と意味が知りたい」 「神社本庁の所在地はどこ?」 「神社本庁に属さない神社一覧が気になる」 古代から日本では、神様はあらゆるものに宿るといわれていました。 特に神様が宿るといわれていたのは、大きな木や岩に山などです。 日本一の富士山も神様が宿っているといわれ、身近にある小さな山にもそうした言い伝えが残されているケースもあります。 崇高な神様が降りてくる神聖な場所なら、人々はきれいに祭り季節ごとにお祭りをします。 外部リンク 神社本庁 非加盟 一覧 お寺・神社・日本文化をもっと身近に : 神社仏閣ONLINE 目次1 伝統的なお祭りの目的2 朝廷は人々が集まる場所である神社を組織化3 鎮守の森4 幕府は寺社奉行を設置5 徳川幕府は仏教を国策とする6 明治維新後、政府は神道を国教とする7 まとめ 伝統的なお祭りの目的 現在も続く伝統的なお祭りには、元々神様を祭るために行われていたものも多くあり受け継がれてきました。 神様が宿る神聖な場所なら、通常の場所とは明確に区別しなければいけません。 一般の場所と区別するために使われたのは、しめ縄や石です。 しめ縄や石で囲うことにより、誰にでもそこが神聖な場所であると昔の人々はわかるようにしました。 この流れこそ、現在まで続く神社の歴史の始まりです。 最初は神様が鎮座する神聖な場所であるため祭場が設けられ、風雨をしのぐために建物を建てました。 当初は風雨をしのぐための簡単な建物でしたが、次第に中国の寺院建築の影響を強く受けた建物になります。 これが日本における神社の歴史の始まりとされていて、時代は今から1300年ほど前の奈良時代です。 神社には魅力がたくさんある 朝廷は人々が集まる場所である神社を組織化 奈良時代の日本では律令制度が整い、朝廷の権力は強まっていきました。 そこで朝廷は人々が集まる場所である神社を組織化し、そこに集う人々を掌握することにしました。 また同族の神様を祀っている場合はさらに立派に再建され、国家神として認められていきます。 そのころ中国からは、仏教が日本に伝来しました。 現在の日本では、仏教と神道は曖昧な状態です。 明確に区別できる人々は少なくなり、どちらも同じと思っている日本人もいるほどです。 しかし仏教と神道は全く別のものであり、古代の日本でもそれぞれ分けて考えられていました。 ですが奈良時代から平安時代にかけて、神仏習合が行われ徐々に曖昧になっていきます。 初めは神が主で仏が徒という立場でしたが、徐々に立場は逆になっていき僧侶の力が強くなっていきます。 鎮守の森 仏と神の立場が逆転したことにより作られたのが、寺院のなかにある鎮守の森です。 大きな寺院では現在でも、境内に鎮守の森があり巨木が祀られていたりします。 寺院を訪れたときに、しめ縄のある巨木を見たことがある人も多いでしょう。 10世紀から11世紀の初めごろには、朝廷が特に尊崇する22社を選んで殊遇します。 日本で一番有名と言っても過言ではない伊勢神宮や石清水八幡宮などが含まれ、一の宮や二の宮などの呼称も与えます。 平安時代初期は土着の氏神信仰が主流でしたが、中期ごろになるに稲荷や八幡などでの各社が勧請され広がっていきました。 武士の時代が始まる鎌倉時代は、御成敗式目にあるように神社は幕府の手により保護されました。 幕府は寺社奉行を設置 幕府は寺社奉行を設置し源氏の氏神である鶴岡八幡宮を守護代にして、深い関係にあったことがうかがえます。 しかし南北朝時代が訪れると幕府の力が弱まり、それと同時に荒れ果てる神社も増えていきました。 その後の室町幕府は、鎌倉幕府の仕組みを踏襲し一般庶民の間にも信仰が広まります。 戦国時代でも、それまでと同じように保護しました。 天下統一を目指した織田信長、その後を継いだ豊臣秀吉も手厚く保護していたことが歴史からもわかっています。 しかし織田信長が自分に従わない比叡山延暦寺を焼き討ちしたように、弾圧する一面も見せています。 基本的には社寺を信仰しつつも政治に干渉してくる場合は容赦なく弾圧する、これが戦国時代の特徴だったといえるかもしれません。 徳川幕府は仏教を国策とする 検地をして寺社に干渉するようになった織田信長や豊臣秀吉のやり方は、のちの徳川幕府にも引き継がれます。 徳川幕府は仏教を国策とし、全国各地に寺を建立して檀家との関係を密にし国家を組織化しました。 神仏習合はますます進んだものの、地域の氏神様を祀る鎮守の森は大衆信仰の場となり、一般庶民の間ではさらに身近な存在になっていきます。 村人が代参者を選んで伊勢神宮に参拝したり金毘羅参りをするなど、大衆信仰はより強くなっていったといわれています。 ここまでの歴史を振り返ってみると、古代から日本の為政者は神道よりも仏教を重視してきました。 明治維新後、政府は神道を国教とする しかし江戸幕府が倒れて明治維新がおきると、政府は神道を国教とします。 神道を国教とした理由は、天皇家が進行していたからです。 そのため明治維新のころには廃仏毀釈を行い、神様と仏様の分離を進めました。 国のトップが国教を変更すると、一般庶民の間には混乱が起きると思うかもしれません。 しかし日本は元々神道から派生した国であり、また仏教と同時にさまざまな形で一般庶民の間にも入り込んでいました。 ですから神道が国教になっても一般庶民の生活が変わることはなく、大きな変化も混乱もありませんでした。 まとめ 明治から大正・昭和・平成・令和と時代を経るごとに一般庶民の間にはキリスト教の風習も入ってきて、さまざまな宗教の文化を取り入れつつも、結婚式や初詣は神社で行うという人もいるほど定着しています。 生活